親じゃないけれど、信じられる大人のひとりになりたい。
愛しているからこそ憎い…
みなさんはそんな感情に出逢ったことがありますか?
まだあどけなさが残る小学校低学年の彼女は両親と離れて祖父母の家で暮らしています。
親元を離れて祖父母の家で暮らすことを選んだのは彼女自身。
自ら両親と離れて暮らすことを選択するのはどれだけの勇気と覚悟が必要だったのだろうか…。
なにも聞いていないのに両親のことを話し出した彼女。
彼女は両親のことを「あの人」とか「私を産んだ人」と呼び
「あの人たちは大嫌い!2度とあの家には戻りたくない」と言った。
口からは嫌いだという言葉が出ていても、心の中では「ちゃんと私のことを見て」と叫んでいるのだと思う。
必死で叫んでも無視されたり、笑われたり、怒られたりした結果、彼女は諦めたんだ…
そうして、彼女はいつ捨てられるかビクビクして暮らすよりも自分から先に捨てる選択をしたのだと思った。
彼女の両親は悲しいほど子どもの気持ちを理解していないようだった。
「あの子は嫌なことから逃げただけ」
「ただわがままなだけ」
まるで自分たちは全く悪くないと主張する姿が印象的だった。
両親と話しているとふと誰と話しているのだろうという感覚になる。
この両親はまだ大人になっていないのだ!
子供のことを案じるゆとりがないのだと。
そしてふと数年前、彼女の親からも同じ言葉を聞いたことがあったことを思い出した…。
そう、母親である彼女も幼いころに自分からSOSを出し施設で育った身の上だったのだ。
彼女に暴力を振るっていたとされる親が全く同じことを言っていた
「あいつは嫌なことから逃げたんだ」「ただわがままなやつ」だと…。
「こどものわがままを鵜のみにした行政のやつらが勝手に保護などと言いこどもを奪い取っていった」と…
そう、これは悲しい負の連鎖だ。
どうしたら負の連鎖を断ち切ることができるのだろうか…
その答えはまだわからない…
でもこれだけは言える!負は必ず連鎖するわけではない。
子供が成長する過程に信頼できる、または尊敬できる大人に出会えれば
例え親がいなくとも温かい愛情に囲まれながら過ごしていく過程で負の連鎖をとめることができると思う。
親は無くとも子は育つ、これは確かなことだ!
親の愛情がなくとも、そこに自分を大切に思ってくれる誰かがいれば負の連鎖は防げる!
親にはなれないけれど、わたしはその子の信じられる人のひとりになろう。
そう、強く、強く思ったできごとでした。