「ママ生まれてきてごめんね。自分は生まれてきてはいけない存在だと思いこんだ少女のお話し」

あなたは親に愛されていないと感じたことはありますか?
「私は生まれてきてはいけなかった子なんだ」
「私がいるからお母さんは大変なんだ」
「お母さんごめんなさい、生まれてきてごめんなさい」
小学校低学年まで、私はそんな気持ちで毎日を生きていました。そんな私も今では母になりました。
母になり一番大切にしていることは

思っていることはすべてちゃんと言葉にすること。

「大好きだよ、愛しているよ」
「さっきは強く怒ってしまったね、でもそれはあなたが大切だからなの」
しっかりと想いを言葉にすることを心がけ過ごしています。

こどもは、察することはできません。
ちゃんと伝えないと自分で勝手に解釈して心を閉ざしてしまうこともあるのです。
ほんのささいなことで15年以上も母と不仲だった私の体験談をお伝えすることで
私のようにバカな誤解で悲しい想いをする親と子が減ってくれたらうれしいな。
そんな想いで投稿しました。

私の母はいつも忙しく動いている人でした。

父はふらっとどこかに行っては数か月帰らないこともありました。
母は私たちのために働き、帰ってからは家事をこなし大忙し。
寂しいと思っても、それをいったら母を困らせてしまう
「お母さんはあなたために頑張って働いているのだから、わがまま言ってはだめよ、お母さんを助けてあげてね」

お友達のお母さんも、親戚のおじさんも、おばあちゃんもみんなそう言う。

だから私は寂しくても寂しくない振ふりをするの

だって、お母さんが大好きだから、困らせたくないの

ある日、お母さんのお友達の家に遊びに行ったとき
お部屋も温かくて、お母さんも近くにいて、お母さんが楽しそうで
なんだか私も幸せで眠くなっちゃって、お母さんのお膝で目をつぶっていたとき

お友達のお母さんは私が寝ていると思ったのか
突然お母さんにそんなことを言ったの
「えっ!!わたしがいるからお母さんは大変なの!」
考えたこともなかった言葉に心臓がドキドキしたのを今でも覚えています。

お母さんは、おばさんの言葉に「まあね~」と笑って答えました。

お母さん、ちがうよって言わなかった!お母さんも私がいなければこんなに大変な想いをしなくてよかったと思っているのかも!!

そのあとのことはよく覚えていません。

ただ、ただ悲しくて、「お母さんごめんね、生まれてきてごめんね」

そんなことをずっと思っていたのをはっきりと記憶しています。

その日からわたしは母に甘えられなくなりました。

忙しそうに動き回る母を見ては「ごめんね、お母さん、うまれてきてごめんね」と

ただ心の中であやまり続けた幼少期でした。

私が母と不仲で不毛な15年を送ったきっかけを思い返し漫画にしてみました。
今思い返せば些細なことで、母に聞けばすぐに解決したことだと思います。
可愛いからこそ、苦労もできる。私のことがかわいいからこそ毎日頑張ってくれていたということも今なら痛いほどわかりますがまだ幼かったあのころの私は、そんな母の想いに気がつくことなく、ただ、ただ母の友人の言葉に驚き、それを否定しなかった母にショックを受け心を閉ざしてしまったのです。

このあと成長し思春期になった私は「お母さんごめんね」という気持ちがなくなり
「だったら産まなきゃよかったのに!勝手に産んだくせに!」と母を憎みだします。

憎んだまま、軽蔑したまま、結婚。
その後、妊娠したことで、不器用な母の深い愛情を目のあたりにし
母へのわだかまりがすーっと溶けていったことを次回書きたいと思います

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