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「百人いれば百通りの母の愛」<4>
- 2020/7/11
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妊娠を母に告げてから数か月後、一人の時に何かあったら不安だという夫の心配と、初めての妊娠で私自身の不安も大きくなり、また将来のためにお金も貯めなければと嫌々ながらも実家で暮らすことにしました。
実家で暮らしていてもご飯は別々、特に母と顔を合わせることもありませんでした。
ある日妊婦健診でお医者様が大きくなってきたお腹を見て「お風呂は滑りやすいらしいから気をつけてはいるんだよ」と声をかけてきました。そのとき「そういえば我が家のお風呂は水滴が少なくて滑らないな」とはっきりとはわからないけれど何か違和感を感じました。
ある日いつもよりも少し早めにお風呂に入ろうとお風呂場にいくと母がお風呂場で何かしていました。
「お風呂入りたいんだけど」と私が声をかけると「ごめん、ごめん」とお風呂場から出てきました。
その時は 「何していたのだろう」と深く考えることもなくその日は就寝しました。
また翌日も母はお風呂場で何かしていました。
夜、帰宅した夫に2日間のことを話してみると思いもよらない言葉が「もしかしたらお母さんはお風呂で滑らないように事前に水滴を拭いてくれているんじゃないの?」
それを聞き「え?まさか、そんなこと…私に興味のない母がするはずないよ」と一笑した私ですが、そういえば病院でもお風呂などは滑りやすいので気をつけるように言われていたけれど うちのお風呂は水滴がなく滑らないなーとは思っていたので… 半信半疑ではありましたが胸がざわつきました。まさかね…母がそんなことするはずがないと
その日はまた就寝しました。
翌日またお風呂で何かしている母に「何してるの?」と初めて声をかけてみました。
「お風呂は滑りやすいからね、お腹が大きくなって床も見えないでしょう、だから滑らないように拭いているんだよ」と母から聞いた途端に、色々なことが走馬灯のように思いだされました。
そうなんだ、母はたくさん話す人ではないから聞かないと何も言わないけれど いつも黙々と色々やってくれていたんだ。
私が遅く帰宅した日もおにぎりがテーブルにおいてあった でも私が求めていたのはおにぎりじゃなくて「おかえり、待ってたよ」の一言だったから… 「こんなおにぎりで機嫌を取ろうとしたってだまされない」と勝手に母の気持ちを歪んで解釈していたんだ。
母の何気ない愛情を私が自分がほしいものではなかったからとみないようにしていたんだ!
そんな私に母はどう向かい合ったらいいのかわからずに、話しかけてこなくなったのだ…と、そして私もこれ以上傷つきたくないから母に話しかけないようになった。
母の愛情を歪んだ解釈をして、みようとしていなかった自分の愚かさにようやく気がつきました。
ずーっと母を否定してきました。
「母親のくせに…」
「〇〇ちゃんちの子どもの生まれたかった」
母から受けていた愛情が自分の考えていたものと違うからと いって愛情とは受けとらず、ただのご機嫌取りだと解釈しひねくれていたのは私
「 母親の癖に子どもを叱ることもできない!」
「そりゃーそうだ叱れるはずがないよね。子どもひとり満足に育てられてないんだから何も言えないよね」などと母を見下していたのは私のほうだった…と。
母は感情を表に出すのが下手なだけなんだ。 私はしっかりと愛されていたんだということがわかってからは 母の言葉を勝手に解釈するのを辞めました。
「それってこういう意味で言ってる?」と不快に思った時は尋ねるようにしました。
すると多くの場合「そんなつもりで行ったのではないよ!と母も気持ちを丁寧に説明してくれるようになりました。
親子だから言わなくてもわかりあえるなんていうことは幻想なんだ(笑)やっぱりしっかりと話さないと相手の気持ちはわからないということを学んだ私は、それからは母だけではなくご近所の人やママ友など 色々な方々と上手にコミュニケーションがはかれるようになりました。
たまに「そこはあいまいにしていいんじゃない」と諸先輩方に指南をうけることもありますが言葉はとても大切だということを母との関係できがつきました。
こんな言い方をしたらよくないかもですが私は母の口下手を反面教師として子どもたちには毎日愛していると伝えています。
だって余計なすれ違いが生じたらもったいないですからね。
「親に愛されていないかもしれない」そう思っている方がもしもいたら、あなたの親は愛していないのではなく愛していることをどう表現したらいいのかわからないだけなのかもしれません。
そして臆病で何かをして関係がさらに悪化するのが怖くて何もできないでいるのかもしれない。
自分の求めていることとは違う形で愛情を示しているかもしれない…親なんだからと勝手に理想の親を求めないで、親も完ぺきではないのだということい気がつき一歩歩み寄ることで私のように長年の誤解を解決できる人がいたらよいなという思いで投稿させていただきました。